2015年8月1日土曜日

【原爆症認定の今】被爆70年、今なお訴訟 原告ら「最終解決を」 首相、この夏どう応える



広島、長崎への原爆投下から70年。放射線で病気になった被爆者を支援する原爆症認定制度は、見直しが重ねられ、救済対象を広げてきた。だが、認定を求める訴訟は今も各地で続き、訴えを認める司法判断も相次いでいる。高齢化が進み「最終解決」を願う被爆者の声に、安倍晋三首相はこの夏、どう応えるのか。(2015年7月23日  共同通信)




国基準、改定後もギャップ 残留放射線どう評価

原爆症認定を求める被爆者約90人の訴訟が東京など全国5地裁・3高裁で続く。集団訴訟が2003年に始まって後、国は制度を3度改定したが、昨年度に審査した2041件のうち、却下は689件。多くは遠距離・入市被爆や、がん以外の病気で、残留放射線の影響などを総合的に捉える被爆者側と、「科学的根拠」にこだわる国側との溝は埋まっていない。
被爆者援護法に基づき手当を支給する認定制度は
①病気の原因が放射線
②治療が必要
が要件で受給者は被爆者手帳を持つ人の5%に満たない。
厚生労働省は01年、放射線の影響で特定の病気になる確率を数値化した「原因確率」を導入。原爆が爆発した際に出た初期放射線による影響を判断の軸としてきたが、相次ぐ敗訴を受け、08年に「被爆実態に一層即したものとする」として、がんや白血病を積極認定する今の基準に改めた。
それまで被ばく線量をほぼゼロとし「影響が必ずしも明らかではない」としてきた人も対象となる転換だったが、実際の審査や法廷では、従来の推定方法による数値化された線量を重視。
一方、被爆者側は、脱毛や下痢といった被爆後の急性症状などから、残留放射線により相当量の被ばくをしたといえると主張し、対立している。
訴訟では、14年以降に限っても、大阪、熊本、広島の3地裁で国の判断を覆し、25人中17人を原爆症と認定する5判決が出た(一部係争中)。
うち、白内障の被爆者を原爆症と認めた5月の広島地裁判決は「(国は)線量を過小評価している疑いがある」と指摘。爆心地からの距離は国の基準を満たしていなかったが、放射性降下物を含む「黒い雨」による被ばくや放射線への感受性が高い生後間もなくの被爆だったことを考慮した。
訴訟が絶えない中、日本原水爆被害者団体協議会(被団協)は、距離や入市時間による制限を設けず、病名や治療内容で手当を加算する制度への改革を求めるが、見直しの動きはない。
被団協は「被爆70年に当たり、認定問題の最終的な解決を期す」と表明している。14年度末で全国の被爆者の平均年齢は初めて80歳を上回った。原爆の日に被爆者と面会する安倍晋三首相の発言が注目される。

「二度とこんな地獄は」 東京訴訟の女性原告」

真っ暗な荒野に死体の臭いが立ちこめ、爆心地の焼けた土から「青い火の玉」が立ち上がっていた。13歳の女学生は父の背中をしっかりとつかみ、地獄を見ないように下を向いて歩いた。
1945年8月9日、長崎。自宅近くで防空 壕 (ごう) を掘る手伝いをしていて、被爆した東京都杉並区の 立野季子 (たての・すえこ) さん(83)にとって、決して忘れられない記憶だ。「二度とこんな経験をする人が出ませんように」。小中学校で証言を続けるが、話した後には必ず夢に見て、声を上げて目を覚ます。
疎開先で、泡をたくさん寄せたようなイボが指先にできた。「鬼娘」「病気がうつる」といじめられ、「これで死ぬのか」と覚悟した。1年後、体が痛いと訴え、ずっと寝て過ごしていた母が亡くなり、自身も原因不明の腹痛に悩まされた。
一番つらかったのは、長女が20代の頃に付き合っていた相手の親から「両親が被爆した人を家には受け入れられない」と結婚を断られたこと。
「畳に額を擦り付けて、ごめんなさい、ごめんなさいと言いました。それしか言葉がなかった。健康なのに悲しくて悔しくて、涙を流した」
心筋梗塞を患ったのは6年前。大腸腫瘍などそれまでに経験したさまざまな病気と同じく「原爆のせいかな」との思いが頭をよぎった。
国の審査基準では爆心地から約2キロ以内の被爆なら、心筋梗塞は原爆症の積極認定の対象だが、立野さんの場合は約3キロ。申請を却下され、「同じように苦しむ人の役に立てば」と、認定を求める集団訴訟に参加した。
訴訟では、残留放射線や内部被ばくで相当量の被ばくをしたと主張したが、国は「極めて低線量の被ばくで、影響はない」と反論した。
法廷で国側の代理人から問い詰められ、家族の病歴まで公開される訴訟は苦痛だった。「被爆から70年もたって、まだこんな思いをしなくてはいけないのか」。 訴訟は東京地裁で続いている。

原爆症認定制度

原爆症認定制度 原爆による放射線で病気になり、治療が必要だと国が認めた被爆者に月額約13万 8千円 の医療特別手当を支給する。認定をめぐる訴訟で敗訴が相次ぎ、国は2008年に爆心地から約3・5キロ以内での被爆といった一定の条件で、がんや白血病など特定の病気を積極的に認める審査基準を導入。13年末にも対象となる病気を増やし基準を見直した。